運命とは、命とは 映画「セントアンナの奇跡」の奇跡とは

奇跡とはなんなのだろう

映画「セントアンナの奇跡」。あらすじを見て興味があったのですが、上映時間160分強という時間に観るのを迷いましたが、観て良かったと思えるほどの良作です。

凄惨な虐殺や戦場をリアルに描きつつ、ソルジャーと奇跡を起こす少年とトスカーナの人々との交流といった感動的なシーンに、冒頭の郵便局員の不可解な行動を突き詰めるミステリーを絡めて進んでいく物語は時間を忘れます。

160分見た感想は、本当に感動したということ。とても見応えのある映画に仕上がっています。

これが何の賞も獲らず、ほとんど注目されていないのが不思議でなりません。

題名にもなっている奇跡をみなさんも体験してください。ここで紹介する事前の予備知識があると、より深く作品に入り込めますよ。

あらすじ

1983年のクリスマス前、ニューヨークで起きた殺人事件。新聞記者のティム・ボイル(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は刑事たちと、犯人ヘクター・ネグロン(ラズ・アロンソ)の自宅で石像の頭部を見つける。それは、イタリア・フィレンツェのアルノ川に架かるサンタ・トリニータ橋 (Ponte Santa Trinita) にあったプリマヴェーラ像で、第二次世界大戦時にドイツ軍に橋を破壊された際に失われたものだった。

1944年秋、イタリア・トスカーナ州セルキオ川 (Serchio) 流域。アメリカ陸軍の黒人部隊(通称バッファロー・ソルジャー)の第92歩兵師団 (92nd Infantry Division) はドイツ軍と対峙していた。バッファロー・ソルジャーの伍長だったヘクター・ネグロンは、オブリー・スタンプス二等軍曹(デレク・ルーク)、ビショップ・カミングス三等軍曹(マイケル・イーリー)、サム・トレイン上等兵(オマー・ベンソン・ミラー)と、戦線のドイツ軍側に取り残されてしまう。4人は途中で出会ったアンジェロ・トランチェッリ少年(マッテオ・スキアボルディ)とともに、ヴィッラ・バジーリカの分離集落へと辿り着く。

キャスト

スタッフ

第二次世界大戦の背景

ドイツ

アドルフ・ヒトラー率いるナチスはミュンヘン一揆によるクーデターで権力の簒奪を図るが失敗し、ヒトラーは投獄され、その投獄中に後のナチスの行動指針となる『わが闘争』が執筆された。ミュンヘン一揆失敗の反省からヒトラーは合法的に権力を簒奪すべく党組織の強化を図った。

1932年に行われた選挙で第1党の地位を獲得し、そして1933年1月ヒトラー内閣が成立、2月のドイツ国会議事堂放火事件で共産党勢力の駆逐に成功すると、翌3月には全権委任法を制定、ヴァイマル憲法を停止させた。ヒンデンブルク大統領亡き後、ヒトラーはフューラーとなり完全に権力を掌握した(第三帝国の成立)。ヒトラーはナチスによる画一的な全体主義国家の建設を推進し、軍事国家を構築していった。経済的には軍備増強及び国内の失業者を救済するためのアウトバーン建設で需要を喚起することにより世界恐慌を克服していった。

国際関係では、1933年には、国際連盟を脱退し、1935年にはヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄、再軍備を開始し(ドイツ再軍備宣言)、1936年にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を駐留させた(ラインラント進駐)。同年、国際連盟を脱退したイタリアとともに関係を結び(ベルリン-ローマ枢軸)関係を結び、同様に国際連盟を脱退していた日本との間にも日独防共協定を結んだ。その後これらの3国の関係は日独伊三国軍事同盟に、大戦勃発後は枢軸国に発展することになる。

また、ヒトラーは民族自決主義の基に周辺諸国内のドイツ人居住地域を併合し、手始めに1938年にドイツはオーストリアを軍事的恫喝を背景に無血併合(アンシュルス)した。次いで、ズデーテン地方に狙いを定めた。この時、開催されたミュンヘン会談でネヴィル・チェンバレン英首相やエドゥアール・ダラディエ仏首相はドイツによる要求が最終的なものであることに妥協し、譲歩の構えを見せ(宥和政策)たが、ドイツの要求はそれではとどまらず、ドイツはズデーテン地方を獲得、チェコスロヴァキアを保護国にした。最終的にヴェルサイユ条約によりポーランドに割譲されたポーランド回廊の回復に手をつけるためにドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄し、反共のナチス・ドイツとは相容れないであろうソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結する。

イタリア

第一次世界大戦においてイタリアは宿願であった未回収のイタリアと呼ばれる地域の回復を狙って連合国側に参戦した。しかしダルマチアのすべてを獲得することは出来なかったため、イタリアはヴェルサイユ条約に調印せず退席した。国民からは「名誉無き戦勝」と呼ばれ、詩人のガブリエーレ・ダンヌンツィオがフィウーメを武力で占領する事件が起こるなど、不満が鬱積していた。

戦後急速に経済が悪化し、右派、左派を問わず様々な政治勢力が主導権を握るべく対立し政情不安に陥っていた。その後ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党がローマ進軍により権力を得て、反対勢力を排斥していくのに長くはかからなかった。また、元首であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ムッソリーニの政権奪取よりムッソリーニとファシスト党に対し友好的な態度を取り続けていただけでなく、積極的にその統治に協力していた。

当初イタリアとドイツの関係はオーストリア問題をめぐって衝突するなど、必ずしも良好とは言えなかった。しかし1935年イタリア領ソマリランドに隣接するエチオピア帝国を攻撃し第二次エチオピア戦争を開始したため、それが元になり国際連盟を脱退し、同様に脱退したドイツと接近した。

1936年10月に二国間でいくばくかの合意が行われた。この時ムッソリーニは「ベルリン・ローマ枢軸」の成立を唱えたが、実質的な条約は結ばれていなかった。しかしその後も日独伊防共協定、1939年5月22日の鋼鉄協約(en:Pact of Steel)の締結などで両国の関係は強化されていった。その一方イタリアは戦争に積極的ではなく、第二次世界大戦勃発は、ムッソリーニにとっては誤算だった。そのためイギリスと根気強く交渉を続けていたが、1939年9月1日のヒトラーのポーランド侵攻がきっかけとなり米英との交渉は決裂、ムッソリーニは更に枢軸関係強化へと傾倒していく。

奇跡を目撃

出演者

監督・その他作品

映画通に

信じる者は救われる



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